こんにちは。
すえまつブルーベリーファームです。
24年前の今日、早朝に大きな揺れが阪神淡路地区を
襲いました。
私は関東に住んでいたので、自分が大学時代を過ごした
神戸の街で起きている信じられな事態を 呆然と見つめて
いました。
考えてみたら、自分は震災前の素敵な神戸と、震災から
復興を果たした神戸しか知らないのです。
どう表現したら良いのでしょう…?
申し訳無いような、複雑な気持ちです。
先日テレビで、JR六甲道駅を復旧するドラマ「ブリッジ」
を見ていました。
そこに映し出されたのは、自分が住んでいた六甲道駅
近辺の街並み。
そして当時付き合っていた彼女と待ち合わせをし、見送り
をした、あの思い出の六甲道駅そのものでした。
(勿論、その彼女は今の妻です)
しかも無残に崩壊した姿で。
情報として知ってはいたけど、リアルな映像を見ていると
身体は強張り、涙が流れて来ました。
自分が住んでいた街が崩壊し、そこに住んでいた多くの人が
犠牲になったという事を、24年経って少しだけ実感できたの
かもしれません。
何百年に一度という巨大地震。
それが24年前に六甲道駅を破壊した。
でも、それが24年前で無く36年前であっても不思議はなかった。
36年前だったたら、1月17日の早朝、自分は間違い無く、あの街の
ボロアパートで寝ていた。そして被災していた。
今更ながら、震災当時の大学生達の被害を調べたら、やはり44人の
学生が命を落としていた。
多くが地方からの学生で、大学近辺のアパートを借りて住んでいて、
そのアパートの下敷きになって亡くなったのです。
あるサイトでは、亡くなった学生一人ひとりの情報と、故人に宛てた
家族や友人からのメッセージが載せられていた。
順に読んでいくと、中には自分と同じ学部同じゼミに所属していた
会ったことのない後輩も居た。メッセージを読み進むと涙が止まら
なくなった。
どんなに無念であったか。
ご両親はどれだけ哀しんだか。
そして、そこにあった写真は、もしかしたら自分の顔写真であったかも
知れない…。私の父がメッセージを寄せたかもしれない。
今日は特に、とりとめのない文章を書いて恥ずかしい思いです。
また、どう表現して良いかもわからないのですが、
ただ、自分が青春時代を送った神戸の街で、とても悲しい災害がおき
た。
そして、今、またその街の近くで人生を送っているということ。
その事を胸に、そして被害にあった後輩達の無念さを忘れずに
ここで残りの人生を過ごしていきたいと思う。
どうか、こんな災害が二度と起きないように!