50歳を過ぎてからの私はセカンドライフのシミュレーションを
何度も繰り返していた。
その私のセカンドライフのプランが具体的になって来たのは
義父の他界と言う悲しい出来事によってだった。
義父が他界したのが1月で、4月には田植えの準備が始まるのだ。
誰が米作りをするのか?米作りをやめるのか?
親族が集まって話し合い「皆で協力して米作りを続けよう」と
なった。
それからは何度も、新幹線や車で横浜と神戸を往復し米作りを
手伝った。トラクターを恐る恐る運転し、田植機はジグザク植え
でも気にしない…。
晴天の日にトラクターに乗っている時の気持ち良さ、清々しさは
何だろう!今までに味わったことの無い爽快感。そしてその後の
ビールの美味しい事!
少しづつ農業の事が気になり始め、農業に魅せられていった。
妻の実家は神戸市の西隣の稲美町に在る。農地が広がり、民家は
点在している。とんでもない田舎だけど不便はない。何より、
学生時代に妻と出逢った想い出の神戸の近くでセカンドライフを
おくるのも楽しいと思った。
妻の実家の農業をやらせてもらおう!
この結論に迷いはなかったが、「いつ?」という事が大きな
悩みとなった。
その時は53歳、60歳の定年退職までは、まだ7年もある。
7年も待てないし、今よりも確実に体力に自信がなくなる。
会社の早期退職制度が適応されるのは55歳から。60歳まで
勤め上げるのに比べると総収入は格段に減るがこれしかない!
55歳で早期退職して田舎で農業。
それからの2年間はセカンドライフに向けた準備期間となった。